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一昨年の二月の朝、義母は突然「なんだか目がよく見えない」と言い出しました。視界が白くぼやけて、文字などが読めないようです。
金曜日だったその日は予定していたデイケアを欠席して、送り出しに来てくれたヘルパーさんに近所の眼科医を教えていただき、徒歩で受診する義母に付き添いました。年配の女医先生に認知症であることを説明した上で丹念に診察してもらい、原因は判らないが内科系の感染症の疑いがあるということで、点眼薬や塗り薬など処方されると同時に都内の大学病院を紹介されました。 週明けの月曜日もパートの仕事を休んで義母を大学病院の検査に連れて行きました。すでに薬が効いたのか、見えなかったことすら忘れている義母は駅まで歩いて行けると言うので、電車で行きました。病院はかなり混んでいて、眼科の待合室の中にも咳が止まらない人や、だるそうにソファに横たわる患者さんを何人か見ました。予約の時刻から1時間ほど待って、ようやく義母が呼ばれましたが、二人の医師の診察の後で種々の検査室を廻り、その度に認知症であることを説明するも要領を得ず、一日がかりで原因が判らないまま新しい点眼薬をもらって帰りました。 その後も「見えなかったこと」は忘れたままに数日が経ち、今度は義母が高熱を出し、喉に淡がぜろぜろと絡んで見るからに苦しそうなのに「ちっとも苦しくないわ」と言うのです。週末でかかりつけは休診だったので夫が救急病院に電話して紹介された総合病院に車で連れて行きました。検査の結果、どうも肺炎らしいということで、結果としてその日から40日ほど入院することになりました。ここでも肺炎の原因は細菌などによるものか誤嚥性のものか判らないということで、誤嚥を避けるために最初の数週間は絶食して点滴による治療です。 その頃の義母は、義姉から毎週大量に届く生菓子などの食品を押入れやバッグに隠し、こっそり夜中や食事の前に大量に食べ、さらに汚れた寝具や衣服もその押入れに隠すなど、不潔行為もかなりエスカレートしていたため、目でも肺でも何に感染しても不思議はない状態だったのです。 そして、その入院期間に夫もわたしも、義母を自宅で介護するのはもう限界であったことを、改めて痛感したような気がします。 ▲
by kanak29
| 2014-02-28 18:18
| addな備忘録
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