
母はわたしと妹が次々と毛紺して家を出てしまうと、寂しさを紛らすかのように、習い事をいくつも始めました。コーラス、社交ダンス、クッキング…そして、絵手紙教室にも通い、わたしの元にも葉書が届いたのです。最初の一通は何の絵だったか、わたしも返事を書かなくてはと思い、何日か後に葉書に色鉛筆で何かのイラストを描いて送ったところ、よほど嬉しかったのか、すぐまた絵葉書が届きました。そうそう返事を書いてもいられないので、次は母に電話をかけて絵の感想など話したように思います。
やがて絵手紙は毎日届くようになり、一日一枚だったのが二枚三枚と増え、わたしは一々電話もかけなくなりました。最初は丁寧に描かれていた母の絵は、次第に雑になり「失敗作でもゴミ箱に捨てるつもりで」というコメントが付いていたりしました。そしてある日を境に絵手紙はぱったり来なくなり、父から母の具合が悪いことを初めて聞いたのです。
家を新築して義父母と同居することになり、引越の時に母から届いた絵手紙の束を殆ど捨てました。義母の捨てられない荷物の山と自分たちの収納場所の狭さにも辟易し、毎日届いた母の絵手紙は重かった。わたしも当時の母の年齢に達し、あの頃買った色鉛筆を出して、自分の気晴らしのために絵でも描こうかと思い始めたところです。