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by kanak29
| 2015-02-07 10:24
| ココロの季節風
ひとりの高齢者や病人を介護・看護することによって、家族や兄弟姉妹の心が離れてしまうことは多々あるだろう。
同居嫁の立場から言わせてもらえば、義姉は自分の都合で実家に来ては、家の中や認知症の母親の気持ちを引っ掻き回して行くだけで、同居家族への協力も労いの言葉のひとつもなかった。大声で母親を叱責しながら障子の桟まで掃除機をかけるせいか張り替えた障子はすぐに破れ、その朝交換した汚れたシーツが洗濯機に入っていても、パートの仕事から帰るともう一枚、朝敷いたばかりの洗いたてのシーツが無造作に突っ込まれている。夫に訴えると「自分の母親なんだから気の済むようにやらせるしかない。その代わり、お袋がいなくなったら姉貴とはもう付き合わなくていいから…」と言われていた。 わたしの母方の祖父を伯父夫婦が自宅で看取った頃は介護保険制度もなく、認知症は痴呆・呆けと呼ばれ家族だけの秘密だったらしい。ある時、日曜日に父親の見舞いに行った母は「おじいさん、濡れた布団に寝かされてて可哀想」と憤慨し、翌週自宅にあった新しい布団を届けたと言う。 母の晩年にその事が義姉の身勝手な介入と重なって思い出され、「年寄りは頑固で、布団も肌着もなかなか替えさせてくれない。同居していない人が可哀想などと介護してる人を非難するのは、間違ってる。」と、昔の母に抗議してしまった。生前の母に会ったのは、その時が最後だったので、そのタイミングで母を責めてしまったことは深く反省している。 3月になってから久しぶりに夫とふたりで義母の面会に行った。 義母は夫のことを「先生」と呼んだり「わたしの父親」とスタッフに紹介したりするくらいなので、当然わたしのことなど覚えていないと思うけれど、前に夫がひとりで会いに行った時は「わたしの主人」と言われ、それが嫌だから一緒に行ってくれと言う。 夫の顔を見たとたん、笑いが止まらず涙目になっている義母に「この人、誰だか分かりますか?」と訊いてみた。「分かるに決まってるじゃないの!この人は、ええと…わたしの大好きな人よ(笑)」 今までで一番上等な答えでした○ #
by kanak29
| 2014-03-19 12:25
| addな備忘録
拝啓 天国のお姉さま
今 私は入院中で大変閑なのであります。 入院と言う事に関して一部秘密にしていますので、絶対秘密の洩れないお姉さまにお手紙を書いてます。 あの衝撃の1本の電話から始まって、アッと言う間の3ヶ月を駆けぬけて行ってしまった日々…あの時、姉君は47才、私は38才か39才でした。まだ長女Kanaも次女Sも小学生の低学年で、思う様に看病してやれなかった無念さを時にふれ折にふれ思い出します。 今もし姉君が生きていたとしたら76才位になっているでしょうか。どんな婆ちゃんになっているでしょうか。 姉亡き後、姉の夫Yさんの人生も変って行かざるを得ませんでしたが、あの後すぐ再婚して私達とは不縁になりました。いづれ長い間には縁は切れるものと思っていたので、あの様に冷たくハサミで糸でも切る様に背を向けられると、怒りより不思議にさえ思われました。 最近、それととても似た事が起こりつつあるのです。 それは、姪Hが去年の春、不慮の死に方をしてこの世を去った後、やはり旦那のK氏が兄夫婦に冷たく背を向け始めた事です。笑顔を消して無口となり、今まであんなに優しかった人(兄曰く)が冷酷になって行く様は、娘を失い、且つ又、その夫たる人に去られる兄夫婦の気持を思うと、生きているために味わう悲しさ空しさを感じるのです。今年70才のその兄も糖尿病と宣告され、元気のない生活を送っているようです。 ________________________________________ 以上は2000年3月初めに、母が帯状疱疹で入院した時のノートから抜粋したものです。 その3年ほど前からKana夫婦と同居を始めた当時70代半ばの義母も、同居前とは手のひらを反したように母に冷たくなっていたのですが、義母に対する不満や疑問などの記述はただの一度も日記に書かれていませんでした。その後、伯父は72才で、母は74才(Kana47)で、後期高齢者になる前にこの世を去って行きました。 #
by kanak29
| 2014-03-05 15:56
| addな備忘録
一昨年の二月の朝、義母は突然「なんだか目がよく見えない」と言い出しました。視界が白くぼやけて、文字などが読めないようです。
金曜日だったその日は予定していたデイケアを欠席して、送り出しに来てくれたヘルパーさんに近所の眼科医を教えていただき、徒歩で受診する義母に付き添いました。年配の女医先生に認知症であることを説明した上で丹念に診察してもらい、原因は判らないが内科系の感染症の疑いがあるということで、点眼薬や塗り薬など処方されると同時に都内の大学病院を紹介されました。 週明けの月曜日もパートの仕事を休んで義母を大学病院の検査に連れて行きました。すでに薬が効いたのか、見えなかったことすら忘れている義母は駅まで歩いて行けると言うので、電車で行きました。病院はかなり混んでいて、眼科の待合室の中にも咳が止まらない人や、だるそうにソファに横たわる患者さんを何人か見ました。予約の時刻から1時間ほど待って、ようやく義母が呼ばれましたが、二人の医師の診察の後で種々の検査室を廻り、その度に認知症であることを説明するも要領を得ず、一日がかりで原因が判らないまま新しい点眼薬をもらって帰りました。 その後も「見えなかったこと」は忘れたままに数日が経ち、今度は義母が高熱を出し、喉に淡がぜろぜろと絡んで見るからに苦しそうなのに「ちっとも苦しくないわ」と言うのです。週末でかかりつけは休診だったので夫が救急病院に電話して紹介された総合病院に車で連れて行きました。検査の結果、どうも肺炎らしいということで、結果としてその日から40日ほど入院することになりました。ここでも肺炎の原因は細菌などによるものか誤嚥性のものか判らないということで、誤嚥を避けるために最初の数週間は絶食して点滴による治療です。 その頃の義母は、義姉から毎週大量に届く生菓子などの食品を押入れやバッグに隠し、こっそり夜中や食事の前に大量に食べ、さらに汚れた寝具や衣服もその押入れに隠すなど、不潔行為もかなりエスカレートしていたため、目でも肺でも何に感染しても不思議はない状態だったのです。 そして、その入院期間に夫もわたしも、義母を自宅で介護するのはもう限界であったことを、改めて痛感したような気がします。 #
by kanak29
| 2014-02-28 18:18
| addな備忘録
年末年始五日間の休暇の前後に土日が続き、いつになく長いお正月休みでしたが、その間一度も義母の面会に行きませんでした。昨年の冬に施設でインフルエンザが流行り一時期ショートステイに行けなくなったので、職員さんの忙しいこの時期は面会を控えることにしたのです。
結婚して以来、義母がいない新年はショートステイに行っていた昨年に続いて二度目です。昨年は初めてで1月4日には帰宅する予定だったので、今ひとつ落ち着かない新年で、どう過ごしたのか、よく覚えていなかったりしますが、今年は本当にのんびりと何もしない新年でした。 義母が家にいる頃は、毎年二日に義姉一家が年始の挨拶に来ていたので、今年も念のためにお年賀の菓子折りを用意してあったのですが、家に来るどころか年賀状の返事さえありませんでした。 そんな平和なお正月も明け、成人の日の連休に、夫が義母の部屋を片付けると言い出しました。古い暖房器具やら汚れたままの布団やらを粗大ごみに2週連続で出して、ほっと一息といったところです。 #
by kanak29
| 2014-01-31 17:42
| addな備忘録
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