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母から/娘へ
W先輩からわたしに宛てた書きかけの手紙を受け取る。
ドグマチールで一旦快方に向かったものの、減薬で失敗?結局ソラナックスも合わなかったようで。ご主人は薬の名前など関知せず、入院できる病院に新たに予約を入れていたとのこと。 そんな苦しい状況の中でも、わたしの義母の介護のことを心配し、心を痛めてくれていた・・・。 先輩と、手紙を届けてくださったご主人に感謝。誰に宛てるでもなく必ずお返事を書くつもりです。
1~2週間に一度の割合で、わたしが仕事に行っている平日に義姉が家に来て、義母の部屋の掃除をしたり昼食に連れ出す。
それは娘としてごく普通のことであり、どうでもいいことであるが、義母はその後必ずと言っていいほど不安定な精神状態になり、義姉が大量に持ってきたお菓子や果物を家族に隠れてひたすら食べ続ける。 月に一度デイケアで受ける「朝食抜きの」定期検査の前でもジャムを舐めたり生ケーキを夜中に2個も食べていたりするので中性脂肪値が異常に高いこともあったし、先日はメープルシロップを瓶から飲み干してしまった。 夫が何度か「なま物を持って来るのはやめて欲しい。」と姉に言ったらしいが、聞く耳持たず。というか翌週は、いつもの倍の量の生菓子が義母の冷蔵庫に入っていて呆れた。 今週も4パックのヨーグルトが2組入っていて、義母は最初の一日で6パックも食べてしまい、その直後に食べた夕食を吐いていた。 残りの2パックも翌日には無くなり、夕食を普通に食べて夜の十時ごろ夫がもう寝るようにと義母に言うと「ご飯をいただいてから寝ます。」と言ったらしい。 入院中は食事も間食もきちんと管理されていたのに、リバウンドというか、いよいよ食欲中枢も壊れてきたらしい。 連休前の苗木市で好きなタイプのマリーゴールド"麦わら帽子"を買ってきました。好きな物を好きだと言える自分が好きさ^^
なぜ義母の部屋にブックオフのシールが貼られたダニエル・キイス著『24人のビリー・ミリガン』上巻が・・・?どうでもいいけど、嫌~なカンジ!
わたしの母が亡くなってから早いもので5年という月日が過ぎ、今年12月には七回忌の法要があります。
その日までを目標に、父を始め家族に向けられた母の日記や手紙を編集して、一冊のファイルに書き写すことにしました。 最初は原文のコピーやパソコンで打った文を父・妹・自分用の3部限定でプリントしようかと思ったのですが、それも面倒なのでシャープペンシル手書きモードで。 2006年の夏にうつの症状が悪化して心療内科を受診した頃の日記に、医師から受けたアドバイスがふたつ書いてあります。 ひとつは主治医の「優しいおじいちゃん先生」に、前日ウォーキングの仲間と一緒に那須にハイキングに行ったと話したら「しばらくそれはやめた方がいい。元気な人と一緒にいると自分との落差を感じてしまうから。」と言われたこと。 その忠告を受けた事は、そういえばわたしも母から聞いたような気もしますが、結果としては母と介護している父を少しでも元気づけようとして、ありもしないカラ元気をふりしぼり、つい余計な事を言ったり薦めたりしてしまう自分がいました。 ふたつめは母が愛読していた新聞の人生相談のコーナーで、心療内科の先生の「落ち込んだときは、それを文字にして心を吐露するといい。」という回答でした。 直接話さないことを日記や手紙に書くのは以前から母の習慣でしたし、実際その文中でも「ここまで書いたら気持ちがスッキリした。以前にグダグダ書いた物も捨てなきゃよかった。」と、その効果を認めていました。 もう時効になった(?)過去の失敗談も含め母の言葉を少しずつ書き写す作業が、今となっては面白く癒しの効果もあるようなので、ぜひ父や妹にも手伝わせるつもりです。 桜の開花に先駆けて、初めて青いハナニラが咲いた日。シャリー・マクレーンつながりで『アウト・オン・ア・リム』の続きを読みながら、DVD『西の魔女が死んだ』をレンタルしてきました。細切れの時間の連続、バラバラだった自分の中のピースが近頃ふっとひとつに纏まるような感覚があって、自分で自分が可笑しいな。 ![]() 模様替えしてみました。
入院中の義母語録・・・
「この人(息子)は、お父さん。」「わたしのハズバンドよ♪」「あなたは背も高いし、世界一のハンサムボーイ、美男子ね。」「でもあなただって、なかなかよ?美女と野獣・・・あ、そうじゃなくて。」 わたしが誰だか分かりますか?「あら分かってるわよ。J子(姉)さんでしょ?」 (同室で寝たきりの患者さんを指さして)「ここには、あんな人もいるのよ。」「こんな所にいたら、こっちまで病気になっちゃうわ!」 笑い話にしてしまうのは簡単な事で、実際そうしないと同居などやっていられないのだが、そうすることでギリギリの所で頑張っている人が、意欲を失くしてしまう場合もあるという事を忘れずにいたいと思う。
・目次その3(New)
お試しショートステイ 2009.12 特養600人待ち 2011.1 震災後の変化 2011.3 新薬メマリー&アリセプト 2011.9-11 帰宅願望と徘徊 2011.11 要介護3へ 2011.12 震災の直後にも高熱を出し、めっきり口数が減った義母は夜間に失禁することが増え、リハビリパンツを穿き始めました。 デイケアに通い始めた頃、義母が「家の人は口も利いてくれない。」と言うのを真に受けた義姉から「無理やりそんな所に行かせるよりも家族の会話が必要でしょう。」と何度も妨害を受け、送り出しのヘルパーを要請しています。 そのヘルパーさんが言うと素直にリハパンを穿き換えるのですが、義姉から高圧的に何か言われた後は「必要ない、穿きません」と言って、汚れた下着を隠すようになりました。 恐らく認知症になる前から依存心が強く主体性のない義母には、認可されたばかりの認知症の新薬も逆効果だったようで、できない事を責めたてる義姉に反論することもせず「そろそろおいとましたい。(両親のいる)家に帰りたい。」と言います。 そして実際においとま?して近くの交番に保護されるという徘徊が二度あったため、薬の処方を以前に戻し、担当が替わった新ケアマネさんに今回は夫でなくわたしから今までの経緯と現在困っている事を全部お話した結果が要介護3という認定でした。 クリスマス・イブの日に義母の新しい介護保険証が届き、翌年1/4には軽い脳梗塞で入院していた父の初めての介護認定調査があり、そちらは要支援1ということです。 これらの事は義母はもとより、母親が認知症であることを未だに認めようとしない義姉にも報告しておりません。感謝はしていませんが、別に恨んでいるわけでもありません。 できない事や忘れてしまった事を叱ったり責めたりすれば、何倍にもなって自分たちに還ってくると、身を持って知ることができたからだと思います。
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